市川白弦「禅・華厳・アナキズム」

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市川白弦(1961年)。「禅・華厳・アナキズム」 [Zen, Kegon, and Anarchism]。『市川白弦著作集』第3巻(法蔵館、1993年)、319–345頁所収(本文319–343頁、注344–345頁)。

English translation: Zen, Kegon, and Anarchism

目次

一
二
三
四
五
六

本文


一

近代日本の哲学を代表する西田幾多郎(一八七〇―一九四五)のいわゆる「西田哲学」が確立したのは、かれの論文「場所」(一九二六年)においてであった。この「場所」の思想は、プラトンのティマイオスおよびアリストテレスのデ・アニマにおける Topos(場所)の概念を介して生まれた思想であるが、しかし本質的にはむしろ大乗仏教の「空」Sūnyatā ないし法界 Dharma-dhātu とくに「事々無礙法界」(個物と個物、事実と事実とがたがいに相即・相入する体験の世界)の思想、いいかえるならば般若の哲学ないし華厳哲学と根源的につながっていたのであり、「絶対無」の場所における個物の相互限定即一般者の自己限定という西田の根本思想は、西欧近代の個我の論理を媒介として、般若の「空」と華厳の「事々無礙」との根源的一の論理構造をしめすものであり、それは本質的には、東洋の無の論理をもって、徹底した自由と平等の形而上的根拠を確立するはずのものであった。それはすべての外的な権威 Autorität 権力 Macht を否定し、いわゆる「宗



教」の衣裳さえ脱した自由の哲学を創立する契機を含んでいた。

この絶対無の場所の哲学ないし「事実の自己限定」の哲学は、しかしながら、帝国主義日本の戦時体制の展開につれて、西田哲学ないし京都学派の「自由主義」的ニュアンスに対する右翼および軍部の圧迫の強化につれて、しだいに「皇道」および「聖戦」に理念的基礎をあたえる論理を、くりひろげるにいたった。

宅壮一はこのことについて、西田は「魂を売って肉体の保証を求めた」とさえ極言している。2大田のものに、「世界新秩序の原理」(一九四三年)および「国体論」(一九四四年)がある。後者はのちに『哲学論文集』第四補遺として雑誌『哲学研究』にのせられ、『西田幾多郎全集』にも収められたが、前者は『西田幾多郎全集』にも収められていない。3

しかしながら、場所の論理または事々無礙の哲学は、皇道の基礎づけとなるものではなく、それとは反対に、むしろアナキズムの根拠となるはずのものであった。拙稿「絶対無のつまずき―西田幾多郎の場合」(『思想』一九五九年一月、本巻所収)には、「むすび」のなかで、つぎのように書いている。

絶対無の場所、弁証法的一般者はその自覚的限定として世界形成の原理を形成する。この原理と皇道とは合一しえない絶対矛盾である。この二つは対象論理の場においてたがいに自らを主張し、たがいに排除しあう本質のものである。対象論理の領域をこえて皇道が真に主体化しようとすれば、主体化の過程において、それの本質である偶然的、特殊的、非合理的なものを無化することによって、皇道は自らを解消するほかはない。皇道は主体として徹する行程のなかで脱我せざるをえない。皇道は絶対無の場所、真の歴史的世界にかえることにおいて自己を失う。逆にいえば、絶対無の場所の論理、述語主義の論理は「主語的な皇道を根源的に否定する底のものである」。西田の「場所的論理的神学」は日本の建国神話と天壌無窮の祭政哲学を根拠づけるのではなく、かえってこれを奉ずる論理体系であったはずである。同様



にしてそれは、西田のばあいとは逆に、国民道徳をも根源的に「虚仮」と観ずる体系であったはずである。この体系は絶対に自由な個物と個物とを媒介する一般者、媒介するものなくして媒介する一般者として、もっとも深い意味における民主的な自由連合の場所の哲学であるはずである。それは皇道の脱皮を要求し、国家の消滅を予示し、もっとも深い意味における無権力の共同社会を基礎づけ約束し、形成する述語主義の歴史哲学であるべきであった。述語主義の論理は哲学者西田に出発して、臣民西田のなかで挫折した。

西田によれば、現実の世界は個物(我・汝・彼)の世界でなければならない。個物はまず一般者(たとえば存在とか生物とか)の限定として考えられるであろう。一般的なるものに種差を加えて、最後に種に至り、さらにこれを越えて、極限点として個物という如きものを考えることができる。併しかかる考え方によって考えられた個物というものは、真の個物ではない。それは何処までも一般者の一部分という意味を脱することはできない。個物は自己自身を限定するものでなければならない4。自己自身を限定するもの、すなわちみずから自分を自覚し、形成し、えらびとるものであって、はじめて独立した個物ということができる。しかし個物が自分自身を限定するということは、他の個物との関係においてでなければならない。私は汝に対する私としてあるのであり、おなじく汝は私に対する汝である。「個物は個物に対すると考えられねばならない。個物は唯個物に対することによって、個物と考えられるのである。唯一つの個物というものは考えられない。互いに独立するものが、互いに相関係するということが、物と物とが相働くということである。(中略)互いに独立的なるものが相関係するというには、その間に媒介者というものが考えられねばならない」(傍点市川)。この媒介者が5、もしも個物と個物とを統一する、あるひとつの一般者であるとするならば、この一般者はすでにひとつの個物にほかならず、しかもこのものの存在によって、さきの個物の独立は失われ



るほかはない。(たとえていえば、甲と乙とがつねに後見人の立会いのもとに交渉するばあいのように)。個物と個物との背後には、これを包括するなんらの一般者も存在しないのである。独立した個物と個物とを媒介するものは、なんらかの有的な一般者ではなく、無の場所的限定の意味をもつ、弁証法的一般者でなければならない。個物と個物とは、絶対無の場所において、真に独立独歩でありながら、たがいに交渉し共働するのである。私はどこまでも私であり、汝はどこまでも汝であって、しかも私は汝であり、汝は私である、という消息がそこにある。それぞれにかけがえのない個性をもつ自主自律の存在であって、しかもたがいに主となり客となって、自由に相働き、相提携する。歴史的現実の世界の真実のありかたは、このようなものでなければならない。西田はこのような実存の交わり、実在の連関の世界を、華厳哲学の言葉をかりて、「事々無礙の世界」とよんでいる。

独立した個性的実存の自主自由な交渉・共働を成りたたせる、絶対無の場所の論理――いうなればこれが西田の社会哲学ないし世界哲学の根本の論理であった。それゆえ、この論理からみちびかれるものは、自我と対象への固執をはなれた、真に自主自由な個物の共同社会であり、したがってそこには「力」による支配の論理が存在しないばかりか、倫理的な擬装をつけた力としての「権威」が介在する余地のない、自由連合の人類社会でなければならない。

しかしながら場所の論理、禅・華厳における空・事々無礙の論理を背景とする、このような開放的な世界の論理は、西田のサムライ的生活感覚と官学的社会存在と帝国主義日本の情勢とによって、その可能性を拘束され奇形化されて、遂に「国体論」と「世界新秩序の原理」にまで、落ちぶれるにいたった。そしてこれは、当時の日本仏教が共通して辿ったコースであった。



二

近代日本の代表的な仏教学者、高楠順次郎(「大正新脩大蔵経」の責任監修者、東京都大名誉教授、第四回文化勲章受章、西田は第二回)は「仏教の全体性原理」6において、大乗仏教の論理と倫理とはもともと全体主義であるといい、この全体主義の論理構造をしめすものが、華厳思想における「四法界」の理説であり、その究極のすがたが第四の「事々無礙法界」である、そしてわれわれの世紀は「世界戦争を一転機として、世界が全体主義に向って来た」と述べ、「今日では西洋人も全体主義を行いかかって居り、日本人はこれを昔から実際に行って居たのであります。我々は日本の大和全体主義を以て、世界に模範を示すことも出来る。仏教の全体性原理を以て、世界を指導することも出来る。(中略)現実の日本は皇道治化でなくてはならぬ。この原理である華厳の全体性原理を、実際に行わせらるるのは、誠に結構である。(中略)いくら仏教がよいといっても、それを日本の皇道治化と並んで、仏道治化と見るような型はあってはならぬ」といい、「吾々は今現に国民精神総動員の時局に接し、日本精神の全体的発揚を要する時代(中略)思うままに華厳の真意を味わって、一糸乱れず、一点の私のない奉公を、企図すべきである。総ての人が自己を忘れ、自己を捨てて、国事に臨むということになりたいものであります。聖者無己、無不己の実を表したいものであります」と結んでいる。華厳学者亀川教信はその著「縁起の構造」7において、山上戒全は論稿「華厳」8において、おなじ趣旨の華厳思想を展開し、禅学者中根環堂は「全体主義と禅」9において、日本の国体は西洋の平面的な全体主義ではなく、一君万民としての、「情は父子の如く、義は君臣の分を守る」、上下一体の立体的一体主義であり、その根底には、「一即多・多即一」の華厳の哲理がある。この一体主義に徹する途は坐禅であり、「非思量底を思量する」坐禅の真髄をつかむことによって、八紘一宇の聖業を貫徹することができる、と説いた。昭



和十三年(一九三八)の京都帝大「月曜講義」における、西田の「日本文化の問題」、およびこれにつづく高山岩男の「文化類型学」もまた、華厳思想の「事実」の論理を援用して、「東亜新秩序」の建設に、寄与しようとするものであった。

しかしながら、これらの試みは、すべて華厳哲学および禅思想の歪曲にほかならなかった。歪曲の事例を、もういちど高楠の場合に見よう。

中国における華厳宗第三祖法蔵(六四三―七一二)の『華厳経探玄記』は、体験の世界における事実と事実とが、無限に相即し相入するさまを、「十玄縁起」として、十門に類別して説いているが、その第一〇に、「主伴円明具徳門」というのがある。体験界の無限の事実は、たがいに主となり伴となって、重々無尽の象徴的世界を形成し、その中のひとつを主とすれば、他の一切はそれの伴となって、この一に従属し、他のひとつを主としてとりあげるならば、さきの一をふくめた他の一切が、いまの一の伴となって、これに包摂される、というのが、「主伴円明具徳」の理法である。高楠はこれを具体的にパラフレイズして、「主たるものも、伴たるものも、双方とも円満に明朗に、上下一心で以て働いて行く、親と子と対立するのでなく、親と子と力を合せて行くのが全体主義である。それが出来なくては全体主義でない。(中略)同じようなものが集まって、その中心が主たるものであるから、これを一君万民の実際に当てていってもよいのであります」といい、「我国は肇国の当初から全体主義である。(中略)明治維新に於て、本然の全体主義に還元した」「華厳の一真法界の光景を、吾々は、現実の日本国民、即ち全体性原理を現有している吾々国民は、実際にこれを現実化して居るのである。これは実に尊いことである」とも説いている。民主主義を「反国体的」とみる一君万民体制と、これを支える権威主義身分道徳のうえに、事々無礙、主伴具足、一即一切、一切即一の真実が実現している、と高楠は言うのである。典型的な、観念の御用哲学である。



日本仏教のこのようなありかたは、これに先だつ中国の国家仏教の事情はしばらくおいて、大化二年(六四六)「それ天地の間に君として、万民を宰することは、独り制むべからず、要ず臣の翼須つ……」、という「改新の詔」をもって出発した新政府が、やがて東大寺大仏殿の建立を発願し、ここに毘盧遮那仏(梵網経の本尊仏、通説には「華厳経」のそれという)を安置し、諸国に国分寺、国分尼寺を建立して、護国の諸経文を読誦させることを企画し、寺院、僧尼を国家権力の統制のもとにおこうとした時代に、すでに根をおろしたものであった。

三

日本敗戦の直後、鈴木大拙博士は「霊性的日本の建設」(一九四六年九月)のなかで、新しい日本は、華厳の法界縁起の理法のうえに、建設されねばならぬ、と述べている。

「天皇を上に戴くと言うことは、力の意欲の象徴である。(中略)天皇は寧ろ内在性をもって、万民の間に重々無尽に繋がれて行くべきである。(中略)世界全面が国家群の法界曼荼羅であるように、日本の国内も亦、天皇と万民を一つのものにして、事々無礙とならなければならぬ。霊性的日本はここで始めて可能になる。これを図式にすると、今までの日本は図1の如きものであった。(上と下)の繋がりはあるようだが、それは途中でいくらでも切られる。上意なるものが下通するまでに、軍閥もあり、官僚もあり、財閥もある。どこが上意の出処か、下のものにはさっぱりわからぬ。これに加えるに、『万民』の間には、各自の繋がりが全くない。(中略)彼等各自は、自分で考え

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図1 鈴木大拙が示した従来の日本の上下関係(市川白弦、325頁所収)。



ることを知らぬ。(中略)唯、“承詔必謹”をのみ是れ願った。(中略)一君万民主義は、一方においては力の意欲を象徴し、他方においては国民各自の自主性を滅却する。(一五八―一五九頁)

天皇と万民とによって創建せられる法界曼荼羅は、つぎのようなものでなければならぬ、という。長文だが引用する。

天皇が高天原から降りて、この大地の上に、人間として青草人草の仲間入りをなされると同時に、青草人草の国民の方では、(中略)奴隷的自卑根性を放擲しなければならぬ。個己の自主性を樹立し、人格的価値の他に換うべきもののない、と云うことを、十分に認識し、自ら尊ぶは、また大いに他を尊ぶ所以であることを、覚悟しなければならぬ。個々円成であると同時に、事々無礙である。(中略)個々円成の故に事々無礙である、事々無礙の故に、個々円成である。

法界曼荼羅の日本的政体面における様相を、(中略)示してみる(図2)。ABC等は万民であり億兆である。併し彼等は一々の個己である、自主的に行為し、思惟し、感覚するところのモナッドである。個々円成である。それぞれに独立し、自由である人格的存在である。それであるが故に、何れへと重々無尽的に連関する。このモナッドは、窓を十分に開け放って居るので、自分の光を他へも分ち、他のをも自分に受け入れる。円中の弦線及び直線は、各モナッド間の連絡、回互、円融と云うようなものを指示する。

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図2 鈴木大拙の法界曼荼羅。周辺のA–Hは民衆、中心のSは天皇を示す(市川白弦、326頁所収)。



中心のSは、周辺のABC等を全面的に外廓的に総括したものを、内面的に反映せしめたのである。ABCD等はそれぞれに孤立して、而も全体性を有つものであるから、ABCD等は孤線で繋ぎ合せて、一個の大円相を形成し、その大円相がそのままで、一々のモナッド、一々の「民草」に外ならず、と云う意味をもたせて、中央の小円相に集中して反映せしめてあるのである。大円相は国民全体を包むものであるが、包むと云うだけでは、これを指して示すべき具体性の事が見られぬので、中心部にSをおいた。Sが即ち国体の中心である天皇である。(中略)Sを外廓の大円相から離して、上方においても可なるように思われるかも知れぬが、それは力の意欲、二元性の構想が入りこんで来る恐れが多分にある。封建的心理態の再現があるにきまっている。それのみならず、Sが円相内にあることによって、円相そのものの結合が、一層の強さを有つであろう。(中略)吾等は日本人として、東洋人として、自主的に、自由の構想で、建設すべき新たな国体なるものがなくてはならない。その建設の筋道は言うまでもなく、どこまでも霊性的でなくてはならぬ、霊性的自覚の上に築かれたものでなくてはならぬ。それで始めて世界性を持ち得る、世界の精神的文化の向上、及び生活実際面における諸般の施設に対して、何かの貢献を為し得べきものが、吾等の間から出て来るのである。(一六〇―一六三頁)

鈴木博士のこの著作は、仏教者が日本の新しい政体を、熱意と誠実をもって構想した、戦後における随一の文献だといえるであろう。すでに明らかであるように、華厳の法界縁起説の日本的・現実的把握について、戦時中における高楠説と、戦後における鈴木説とのあいだには、原理的な距離と違いがある(「どこまでも霊性的自覚の上に築かれたものでなくてはならぬ」という、鈴木博士の指摘に注目すべきであろう)。このばあい、高楠説については、もしも高楠が戦後のこんどに生存していたならば、さきの解釈に修正の必要をみとめなかったかどうか、また鈴木説については、真実はこれを語ることが必要かつ困難であるときに語られてこそ、光



と力をもつのではないか、という疑いがもたれるのであるが、ここに見られるかぎりにおいて、われわれは鈴木説こそ華厳思想の真実を、現代日本に生かすものだと考えざるをえない。

高楠説と鈴木説とでは、天皇の位置が上記の前図と後図との違いになっているが、同時にこの位置の違いは、天皇の位置の原型としての毘盧遮那仏の位置の違いでもあろう。高楠説には、「華厳の方でいいますと、中心である大毘盧遮那仏も活躍する。その外輪を飾る外金剛の部属悉く活躍する。住伴総動員の大曼荼羅を現ずるのである。これが華厳の法界縁起の実現した現相である。(『真法界の顕現である』)(二五一―二六頁)という言葉がみられ、鈴木説には、「日本の国体の本来の姿が、此の如きものと考えられるとき、“君の恵”及び“御代の光”などで示唆せられる一連の思想は、従来それらに附着せられたものと違ってくるのである。“恵”は力と連想せられることがなくなって今度は回互性をもったものとなろう。“光”も只只上方からのみ照らし来るものではなくて、各自のもつ本来の光りの交互的耀らし合いと言うことになるであろう」(一六四頁)という主張が読まれるが、どちらの論説においても、毘盧遮那仏と天皇(鈴木説では人間天皇)との内面的・論理的連関という、もっとも核心的な一点が明らかでない。高楠説が、「皇道治化」をたてて「仏道治化」をみとめないという以上、いわゆる本地垂迹説にかかわるどのような論理をとるのか、それが明らかにされねばならない。鈴木説にいう「君の恵」は天皇の恵みであるが、天皇の恵みとは具体的に何をさすのか、「光り」もただ上方からのみ来るのではないといわれる場合、「上方から来る光り」とは具体的に何であるのか、鈴木説の法界曼荼羅にも「上方」があるのか、その場合の上方とは何であるのか、その上方は人間天皇として上方であるのか、これらの点が明らかでない。

鈴木説の法界は世界性をもつというのであるが、唯一特定の血統にぞくする一人の人間を、つねに世界の中心に位置せしめる論理と倫理が、はたして世界性をもつといえるであろうか。「血」という非合理的、偶



然的なものに、特定の宇宙倫理的意義をもたせることが、仏教のダルマ(法)の立場において、そしてまた世界倫理の立場においてみとめられるであろうか。「万世一系は、次のように解せられるとき、吾等の身命を賭すべきものとなるであろう。即ち皇統の永遠性は、日本国民の懐抱して居る理想の永遠性を象徴するもの、と見るときである」(一六五頁)。ここにいう「理想」とは、鈴木説のいわゆる「霊性的日本の建設」であろう。このばあい、帝国主義日本を否定して霊性的日本を建設するために、いったい誰が身命を賭したのか、という問題はしばらくおくとして、この理想の永遠性を象徴するために、なにゆえ特定の血統の「人間」を必要とするのか、その人間が自己の基本的人権において、この象徴たることを否定した場合はどうなるのか、またこのような象徴をもたぬ国民はどうすればよいのか。天皇の位置がたとえ鈴木説のようであったとしても、血の万世一系をみとめるかぎり、すなわちなんらの天皇制をみとめるかぎり、そしてこの体制の世界性を主張するかぎり、その論理は新しいかたちの「八紘一宇」説に展開する契機を含むのではないか。

華厳の法界縁起の論理を、高楠説から鈴木説の方向に、どこまでも徹底させるならば、人間天皇による「民主的」な天皇制さえもその論理的根拠を失い、したがって鈴木説の後図も、その意味構造が本質的に変わるのではなかろうか。

しかしながら、このような疑問にもかかわらず、「道徳的自由人としての個己、霊性的存在としての人格、ただ漠然たる“全体主義”の名の下で、蟻群化し能わぬ独立自主性の個体の価値」(一四二頁)を強調する鈴木説が、力による支配の原則をみとめない鈴木説――「法界の外に立つ力は、あるべきではない。力がないと組織が持てないというのは、そのようなものを外に求めることの非理なるに気が付かないからである。法界はそれ自身で完全な組織体である。これを組織する力は、組織そのものの中に固より具わって居るのである。それを外に求むるから内にあるものが却って歪められて、あらぬ方向へ転出する」(中略)――霊性的



日本国家の建設は、力を主体としたものであってはならぬ。事々無礙法界を、そのままに、吾等の生活を実際に映したものでなければならぬ」(一五三―一五四頁)――このような社会像は「法界はそれ自身で完全な組織体である。これを組織する力は、組織そのものの中に固より具わって居る」という指摘に注目しよう。それはアナキズムにおける「自由連合」の思想を想起させる、これを政治的にみるならば、華厳の法界縁起世界の象徴としての、新しい人類社会における、アナキズムを示唆するものとみられるであろう。力の原則の否定と、私有の原則の否定を土台とする華厳の法界は Buddhist Anarchist Communism (B・A・C) の世界だといえるであろう(もっとも、鈴木博士は、私有制について言及されたことはないように思われる)。「秩序と無政府との統合」Unity of order and anarchy に社会の完成されたかたちをみたプルードン(一八〇九―一八六五)の構想は、このことに関するかぎり、そのまま華厳の蓮華蔵世界にあてはまるであろう。

国家神道と仏法とは、根源においてひとつであるというのが、日本禅の伝統的な見解であった。江戸時代の禅匠東嶺円慈(一七二一―一七九二)は、つぎのように説いている。

「大凡神」とは心なり。心垢滅尽して、鏡の明了なるが如き、是れを神と謂う。是の故に神乗は鏡を以て表体と為す。心鏡本来清浄常住寂然、是れを国常立尊と謂う。心鏡本来円明、物として現ぜざること無き、是れを天照大神と謂う。(中略)まさに知るべし、神乗仏法、同一理体、但だ是れ見性の一法を出でず。10

この事情は東嶺の師、白隠慧鶴(一六八五―一七六八)の場合も同じであったが、明治の禅匠今北洪川(一八一六―一八九二)も同じ見解をのべている。

「吾が朝には皇極の道有り。是れ天祖神明の大道にして、王者の正教なり。其の授受の悠久や、神孫一統、他姓を交えず。(中略)是れ吾が王道の万国に特絶する所以なり。」11



吾が皇国男子大丈夫は、先ず火も焼くこと能わず、水も溺らすこと能わざる底の、和魂真柱を肚内に堅立し、以て一旦豁然として貫通すれば、則ち皇極の道を権衡するに於て、亦間然する無し。

東嶺の見解は、国家神道の核心をなす、皇統の万世一系を、仏法の立場から根拠づける論理を欠いている。仏教の基本原理である「諸行無常」と、神道の核心である皇位の天壌無窮とを、どのようにして媒介するか、まったく不明である。洪川の場合も同様、いや『虎関師錬』(一二七八―一三四六)、白隠、『天桂伝尊』(一六四八―一七三五)を含めて、現代にいたる日本禅の宗匠において、神道の神がどうして人間の根源的主体と同一であるのか、血統がどうして神系と同一であるのか、血統の断絶(出家生活)を原則とする宗旨が、どうして血統の連続を禅法的に基礎づけ得るのか、このもっとも本質的な問題点が、まったくかえりみられていない。白隠も東嶺も、そしてすべての禅者が、その神道観において、視力の致命的な弱さをばくろしているといえよう。

禅的真実の永遠性と、特定の血統の政治的「倫理的」一系性とは、なんの関係もないのであり、皇統の一系――それは原始民族の遺風である――を、仏法ないし禅の立場から基礎づける論理は、存在しない。わけても明治以後の皇道禅は、禅のデカダンスの最大なるものである。血の一系と徳の一系との同一を強弁する論理(?)は、白隠の「施行歌」にみられるような、三世因果の思想のほかにはないであろう。

が〈じ〉はこの思想をもっても、基礎づけられない、それは現世の身分境遇の差別を説明するものでしかないのだから、この思想はむしろや現代の批判にたえ得るものではない。

詩人ホイットマン(一八一九―一八九二)は、人間の尊厳について、「君自身より神聖な神はありようはない。そしてこれこそは、もっとも古い、もっとも新しい神話が、共に最後に意味するものなのだ」(“Laws for Creation”)という。プルードンは人間の主権について、「すべての市民は王である」 (Every citizen is king.) と書いているが12、日本禅のように、天照大神と人間の根源的主体とを、同一視することは、けっきょく国家神



道を否定することにほかならない。禅と日本国体、禅と天皇制との内面的・必然的連関をみとめないことにほかならない。これまで日本の禅者が、この帰結を自覚し表白していないということは、この禅者たちの禅的思惟が不徹底であり、真に「独脱無依」(『臨済録』)になっていないことを、しめすのではなかろうか。宗教的自由共産主義をとなえたキリスト教的実存哲学者ニコラス・ベルジャーエフ(一八七四―一九四八)は、哲学者ハイネマンによって、神秘的アナキスト mystical anarchist とよばれ13、東洋思想わけても禅に心をよせて、キリスト教神学を批判したフランスの女流哲学者シモーヌ・ヴェイユ(一九〇九―一九四三)は、スペイン内乱に参加したアナキストであったが、禅の社会思想は、わたくしのみるところでは Prajñā (般若) of Śūnyatā (空) Anarchist Communism であろう(拙著『般若経』、三一書房参照)。

四

西欧の宗教的アナキストたちが、国家権力に抵抗しているのに(ニコラス・ベルジャーエフは帝政ロシアにおいて、共産主義者となって、投獄された)、禅ないし華厳の仏教に、このような事例がみられないばかりでなく、かえって逆の事例が、圧倒的に多いのは、どうしたことであろう。この諸事情の二、三をあげて、検討してみよう。

最初にあげられることは、体験の事実の世界と日常的経験の事実の世界、無我の行為的直観の世界と経験的個我の現実の世界との、次元のちがいの朦朧化による、「二つの事実界の混合ないし混同」ということである。事々無礙の世界は般若体験の事実界であるが、これがたんなる経験的事実界と、容易に重なりあい融けあって、両者の断絶による緊張関係が、確立しない事情にある。人は、「善の研究」の著者西田が、高橋里美の批評に答えて、「純粋経験と非純粋経験とのあいだに、質差をみとめなかったことを、思いおこすであ



ろう。14 この西田の見解は、禅学、仏教学にとっても、重要な意義をもっている。

右の事情は、仏教者の修為求道の重心が、「学問ノ末ニ走リテ、安心ノ本ヲ忘レ勿レ」(西田幾多郎『日記』)というように、「安心」の確立にあるがために、その到達点が「住めば都」といった、随処に安住する生きかたとなり、そのかぎりにおいて、その時々の環境が美化・合理化される心理的必然につながるとともに、般若直観の主体が「海印三昧」「宝鏡三昧」または「絶対無の場所」という言葉がしめすように、映すもの容れるものという性格においてあらわれる(これはさきの安心主義とも照応する)ために、環境に対する対象的変革的意志の執念が成立する以前に、観照の風流に乗ってしまうからでもある。「アジア的停滞」の東洋が、芸道の面においてすぐれているのも、「禅文化」の大半が芸道的であるのも、このことにつながる。敵とたたかうための弓術、武術が、平和の時代において、自己と対決する弓道、武道に転化し、内面化し、思想化し、体系化するとともに観照化したことは、興味ふかい。すべて「道」的なものは観照的なものである。いいかえるならば、「概成」の社会的約束ないし体制のワクのうちに安住するものである。有機的時代の有閑富裕な仏教者は、容易に華厳的観照の世界に遊んだであろうし、危機時代の不安な仏教者も、安心をもとめて観照の世界に入ったのである。この世界では、経験的な歴史的現実が、無礙円融のヴェールにおおわれて美化せられ、美化の度合に応じて、受容され合理化されるのである。

世界のあらゆる事象は、海印三昧に映現して、重々無尽に円融する、と説かれている。思うに、「華厳経」にみられる蓮華蔵世界は、般若の行為的直観の事実界であるとともに、この事実を中心として構想された、創造的想像 creative imagination によるヴィジョンの世界である。このばあい無礙円融というのは、頑固なカースト社会体制のワクのなかでの、体験者の身辺的行為の事実、およびヴィジョンの世界の諸現象が円融無礙であることであって、人民大衆が生活しているなまなましい現実の世界が円融



無礙なのではない。海印三昧には、体験者の身辺的行為的な事々無礙の事実と、直観的ヴィジョンにおける円融の事実と、矛盾し抗争する暗い現実とが、三重の層をなして映現しているはずである。この立体的世界を、平板な円融無礙の一色に塗りつぶすことは誤りであろう。これと対照する意味において、ハーバート・リード(一八九三―一九六八)のつぎの言葉が思いおこされる。

宗教は芸術(詩)と密接につながっている。(中略)スペイン内乱において、観察者は、アナキストの宗教的情熱に打たれた。アナキズムは、この潜在的ルネサンスの国において、英雄たちばかりか聖者たちを、すなわち、新しいかたちの人類社会の創造のために、感覚的想像と実践とにおいて生命をささげた、この新しい人々を鼓舞したのである。15

次元のちがった世界の混同からくる、あしき現実主義について、つぎの批評が成り立つであろう。

法蔵の華厳哲学の表明する、事々無礙なる現象円融論、現象絶対論は、「性起」説すなわち海印三昧なる根本直覚をへてこそ、はじめて体得される真理であることは、明らかであるが、それが単なる思想として表現される時は、実践の媒介を否定し、安易な絶対主義的な世界観となる。(中略)現象円融論は、単に現実の「事」をそのまま認め、その円融を主張するのでは決してない。ほんとうの意味で事々無礙は、宗教的直覚の上に展開するものだからである。(中略)華厳の体系は、海印三昧によって発現する宗教的世界観である。この点を忘却して、現実の「事」を凡夫の分別からそのままの「事」として認め、その円融を説くならば、全く異なった思想となる。現象を絶対とするのは、その現象が蓮華蔵世界の一つを作っているからである。これを無視して、現象がすべて絶対的な意味を持つと云うことは、現実をそのままに肯定することになる。一歩あやまれば、現実の支配構造、社会構造を、無条件で肯定することになる。絶対肯定の哲学は、現実をそのまま認用する支配者の御用哲学ともなる。(鎌田茂雄)16



この批評は、華厳思想ないし大乗仏教のおちいりがちな、そして事実しばしばおちいった錯誤と病弊――たとえば僧肇(三八四―四一四)、大慧(一〇八九―一一六三)の場合17――を、正しく指摘しているといえよう。

この批評は体験界と日常的経験界との区別を強調し、後者は「菩薩行の実践と慈悲に基づく誓願によって」浄化されねばならぬと主張する。それは高楠流の俗物主義を克服するものであり、この批評のうちに引かれた鈴木博士の見解とともに、正統説に立脚するものである。この見解は、いわば法蔵にみられる観照的傾向から、澄観(七三七―八三九)の体験主義への方向転換であり、この体験主義による教化伝道の主張であろう。

華厳の事々無礙の世界は、体験とヴィジョンの共同制作の所産であって、現実の階級社会の構造的矛盾を把握し、分析し、これを実践的に揚棄しようとする行為の場とは、かかわりのない別次元の事柄であり、その次元でしか成り立たない世界である。この世界は、われわれの生活する世界の機構的根本矛盾を揚棄する、対象的実践を生む根拠・論理をもっていない。この点において、法蔵と澄観とのあいだに本質的な違いはない。それは単なる事実、単なる現実を肯定するのではなく、むしろこれを虚仮虚妄として否認するといっても、それは主観的意識の内部でのできごとであって、対象的変革的実践の場においてのできごとではなく、したがって事実においては、現状肯定の「二重真理説」18であるほかはない。般若体験の世界と、単なる経験的現実の世界との峻別を自覚する仏教者が、事実において体制擁護的であることは、少しも不思議ではないのである。

五

華厳思想が、さきにみたような伝統的な性格・制約を揚棄しないままで、現実世界のなかで社会倫理を形



成する場合には、すなわち「主は伴に対する主であり、伴は主に対する伴である」「心は物に対する心であり、物は心に対する物である」といった「相即」の論理、「相依相関」の縁起の論理によって、モラルを形成する場合には、そこに和合・調和・温情主義の倫理が生まれるであろう。

資本あっての事業、事業あっての労働であると同時に、労働あっての事業、事業あっての資本である。資本と労働との共同活動が即ち産業である。(中略)賃金を与える者貴くば、労働を与える者も同じく貴い。否、其の孰れも与えるのではない、資本と労働の持寄りに外ならない。(渋沢栄一)19

この産業資本家における労資協調のモラルは、禅者によってつぎのように示される。

「自他元来不二」なることを知らば、何の難義もない筈ぢゃ。労が家の資本ぢゃ。同時に資が家の労ぢゃ。争はどうしても起らぬ筈ぢゃ。(飯田欓隠)20

和合のモラルは戦争のモラルともなる。華厳学者はつぎのように述べている。

平時にあっては、互いに離れ難きあつき因縁の繋りとして、睦みあうための基盤となれる縁起観は、非常の時であっては、また無礙の大敢闘精神の発露となって、日本国民としての責務を、その各々の持場に於て、果さしめてゆくのである。(亀川教信)21

全国民の一人一人が、何れも御稜威のうちにあって、此の主伴具足感に奮い起つとき、一億の民は単なる一億に局限されずして、一億は同時に一億乗の力を発揮することとなる。(同)

この華厳学者によれば、「一即一切、一切即一」の無尽縁起の行為的把握に於て、個と全の関係が、真に如の形態に見得られるのは、わが日本国における国民的自覚の上に、浮び上って来る国家観に於てのみなることが知られる22」のであるが、この論理は戦後の日本において、かの近江絹糸の工員手帳(「鑑」)のなかに具体化し、また産業資本と禅との提携による工員錬成のモラルとして、その実績をあげつつある。「経団連」



の支援によって発足した、さる禅道場における、最近の座談会「禅と企業」は、禅によるヒューマン・リレーションの調整と、企業経営の合理化および労務対策について語っているが、そのなかにつぎのような言葉がみられる。

一番大きな方針は、唯今私の方の常務が、申し上げましたように、ともかく一応学生生活の気分を一新する。そして自分というものと、会社の所属と、あるいは会社全体の中の個、個による全体ということを見ること、そして自分自身を一応分析して、会社の一員として一新して働いてもらうということを、一番根本方針にしておるわけです。23

禅寺でのお坊さんのお話は、非常に抹香臭いものだと考えておったところ、恋愛観も飛びだすということで、非常にくだけておって、ききよかった(中略)というアンケートもございました。なるべくならそういう風に、お色気をまじえたお話も、大変喜ぶようですので、お願いします。

ここで、言いたいのは、「主伴具足」にかんする亀川説(前記高楠説も同じ)についてである。この場合、主から伴への方向は、天皇絶対主義を根拠づけるものとして、どこまでも一方的であり、かつきわめて具体的現実的(帝国憲法的)であるが、伴が主としてとりあげられる方向は、観念的でしかない。このことは、いいかえるならば、主伴具足の論理を、階級社会に適用すべきではない、ということを示唆する。亀川説の場合には、主伴は真に円明具足とはいわれないのであり、この論理の創唱者法蔵自身ですらおそらくこの危険をまぬかれてはいなかったであろう。さきの鎌田氏は、同じ論文のなかで、この問題をとりあげ、「体験界の事実と経験界の事実との混同をいましめている」が、この批判が意識において否認して、現実において認容する、「二重真理説」にほかならぬことは、すでに指摘したとおりである。無政府共産社会こそ、主伴円明具徳のもっともよき象徴であるであろう。



六

「仏を殺し祖を殺す」(『雲門録』)という言葉があるが、外的対象的な権威をみとめないことにおいて、禅のように徹底的であるものはないであろう。「無位の真人」の「随処に主となる」「独脱無依」の自由を強調したのは唐の禅匠臨済義玄(?―八六七)であったが、このような自由において、「丹霞天然」(七三九―八二四)は仏像を、「徳山宣鑑」(七八二―八六五)は経文を焼いたのである。「仏の一字、吾れ聞くを喜ばず」と趙州従諗(一七八―八九七)はいっている。この趙州のところへ、時の国王が部下をつれて訪れたことがあったが、趙州は座席(禅床)を降りて迎えることもなかった。その翌日、王が客将として昨日の答礼を述べさせると、彼は座席から降りて、客の挨拶をうけた。のちになって、門弟はあれはどうしたことかとたずねると、お前にはわからぬだろうが、「第一等の人来らば、禅床の上に接し、中等の人来らば、禅床を下って接し、末等の人来らば、三門の外に接す」これが自分の家風である、とかれは答えた。24

「西方に国有り、安養と名づく。(中略)国に王制なく、階爵の序無し」25という言葉がしめすように、仏教者が構想した未来社会は、無政府共産の世界であったと考えられる。クロポトキン(一八四二―一九二一)は、われわれの文化財、生活資料が、悠遠な過去からの、無数の人間の労働の果実であり、われわれはそれらに対して、「わがもの」my own と主張する根拠をもたないと述べている26が、仏教者もまた、これらのものが、衆生の重々無尽に交錯連関した活動の所産として、もともと全衆生に所属する「四方物」であり、「わがもの」mama-kāra という規定をゆるさない、と考えたのである。27(ただし「梵網菩薩戒経」などにはすでに「国王もの」という思想がみられる。)

仏教が現代において、その社会倫理ないし世界倫理を形成するために、とりくまねばならぬ問題は、およそつぎのとおりである。



まず仏教の超国家性の回復と、ナショナリズムの回復との総合の問題がある。いわゆる「鎮護国家」における国家は、王室、国土、人民の意味であったが、その主眼は天皇であった(中国においても、「国家年少胸懐を出でず」の国家は天子の意味であり28、「国家、神宗より専ら経術を以て士を取る」の国家は朝廷の意味であった29)。日本天台における「鎮護国家の十箇秘法」をみても、「天皇御即位灌頂」「皇帝御本命持念」「後宮安産御授戒」というように、天皇の一身にかんするものが、大半を占めている。いずれにせよ、仏教はその成立の当初から、国家権力と結びついてきたために――そこには、主権者を教化して善政をしかせよう、という意図があり、それが成果をおさめた場合もあるのだが――国家権力の本質を批判的に分析し検討する点に欠けるところがあった。しかし国王に対する警戒も強かったのであり、「比丘まさに王に近づくのは奴の如し」(『正法念経』)、「王は恒に賦税を多くし、横しまに過無き人を罰す」(中略)諸の貧苦の人を見ながら、會て憐愍の念無し。女人に耽り染って悪道を懼れず」(『唐訳華厳経』)といった言葉がみられる。

仏典では、原始仏教に於けると同様に、国王は人民に害をなすものと考えられていた。だから、国王は《盗賊と並べられ、庶民の蒙る災難として「水火の難、盗賊の難、悪人の難」とともに、「国王の難」が挙げられている。30

国家悪の認識と、正しいナショナリズム(たとえば民族の独立と民族の提携)の回復との、総合の論理がみいだされねばならぬであろう。そしてこの問題との連関において、「生死に染まず去住自由」(『臨済録』)といった霊性的自由と、政治的、社会的自由との矛盾の統一の問題が探究される必要があるであろう。「宗教なくして、国家はありえない」31 とバクーニン(一八一四―一八七六)はいったが、しかし宗教は国家なくしてありうるのである(もっとも禅を「宗教」とよんでいいかどうかは問題である)。近代日本の禅が、天皇制国家権力によって、どのようにゆがめられたかについては、上来見てきたとおりである。



国家との連関において、つぎに考えられるのは、階級の問題である。マルクスは、「支配階級の思想はどの時代においても支配的な思想である。社会の支配的な物質的な力であるところの階級が、同時にその社会の精神的な力である。物質的生産の手段を左右する階級は、同時に精神的生産の手段を左右する。だから同時にまた、精神的生産の手段を欠いている人々の思想は、おおむねこの階級に隷従させられることになる」32 と書いているが、近代日本の禅イデオロギーもまた、この通則の例外でなかったことは、説明するまでもない。帝国主義日本における、国籍にしばられた日本禅から、「文化日本」における無国籍のコスモポリタン禅への、転向のプロセスのうちにも、この通則がなにほどか働いているのかもしれない。鈴木大拙博士とならんで世界的に著名な禅者久松真一博士は、「現在の直面する危機と世界倫理」にかんして、原子物理学の殺人的展開のうちに、ヒューマニズムそのものの危機を見、科学の異常な発達とモラルの立ち遅れとの未曾有の「跛行」を指摘して、「倫理力を増強して、この跛行を整形する」必要を力説し、しかもその倫理力が、特定の国家や国家ブロックや階級やイデオロギーのエゴイズムに立つものであってはならぬ、として新しい世界倫理を確立する急務を提唱していられる。33 まことに貴重な示唆である。しかしながら、ひるがえって考えるならば、科学と倫理との跛行は、はたしてヒューマニズムの危機とか、人類文化の行詰りとかいうものであろうか。世界の圧倒的多数の人民大衆は、良心的な多数の科学者とともに、原子力の殺人的利用に、繰り返し抗議し抵抗しているのである。かれらはいささかも偏向者ではない。そればかりか、この厖大な人民大衆の平和のためのたたかいこそが、科学とモラルの革命的分裂をくいとめているのである。偏向的であるのは、ヒューマニズムの危機をばくろしているのは、独占資本の「死の商人」たちにほかならない。

久松博士を中心とするF・A・S禅がかかげるところの誓願「超歴史的歴史の創造」(to create Superhistorical history) は、階級的視点をどのように処理しているのであろうか。その歴史創造の智と力とは、蒸溜水のご



とく無色透明であろうか。その社会倫理は、絶対者に基礎をおくM・R・A(道徳再武装)の社会倫理と、どのようにちがうであろうか。「わたくしは公正であることは約束できるが、不偏不党であることは約束できない」(ゲーテ)(市川註・われわれはこのばあい、西田哲学の「行為的直観」との対比において、階級的自覚における「実践的直観」の論理を展開しつつある、唯物論者梅本克己氏の体系に注目したいと思う)。

階級の問題は、人間の自己疎外の問題、とくに労働における自己疎外の問題につながる。この問題と、まともにとりくむことなしには、仏教社会倫理の現代的形成はなしとげられないであろう。このことは、仏教者が賃金労働者の視点を、自己のうちに位置づけること、いいかえるならば、「商品」としての労働者(人間)の自覚的な視点を自分のうちに措定することを、必然的にするであろう。

疎外された労働は、人間から(一)自然を疎外し、(二)自己自身を、彼自身の活動的機能を、彼の生活行為を疎外することによって、それは人間から〈類〉を疎外する。(中略)人間が彼の労働の、彼の生活行為の生産物から、彼の類的存在から疎外される、ということからくる直接の帰結は、人間の人間からの疎外 die Entfremdung des Menschen von dem Menschen である。34

資本制社会においては、人間までが商品化される。青年男女の教育は、かれらのからだに「元手をいれる」ことにほかならず、青年たちは、「パースナリティの市場」において、「いかにして自分を売りつける」かの問題に腐心せざるをえない。アジャストメントというヒューマン・リレイションという、商品経済の土台のうえでの教育であり道徳である。「人的資源」といい「人間ドック」といい、ないしは「禅ブーム」という、まことに象徴的な言葉である。「玄関に、脚下照顧」とありましたが、脚下照顧が第一ですね。これからこそ健全な企業がでてくると思います。これは財界人の立場から言えば、安い投資ですよ。こんなものの「粒万倍」になって帰ってきますよ。35



売淫は、労働者の一般的売淫 allgemeine Prostitution des Arbeiters の、特殊な表現にすぎない。そして売淫は、淫売婦だけでなく、その相手――その卑劣さいっそう大きい――もはいる、一つの関係であるから、資本家たちもまたこの範疇にはいるのである。36

このような人間の自己疎外――わたくしはこれを人間の水平的な自己疎外 horizontal alienation として、実存的宗教的な自己疎外すなわち垂(鉛)直的な自己疎外 vertical estrangement と区別するのだが――は、これを快適なものとして享受する階級によっては、決して克服されず、これを苦痛としてうけとるほかない階級によってのみ、克服されるであろう(このことは、人間の垂直的な自己疎外の克服が、仏教のばあい、苦観にはじまるのと同じ論理・心理である)。商品としての賃金労働者の視点にたって、労働における人間の自己疎外(それは同時に、資本における人間の自己疎外でもある)を、克服しようと決意することは、われわれが階級的自覚にたつことにほかならない。階級的自覚を、階級的エゴイズムとしてしかとらえることのできない、平板な人類肯定する立場にはかなならない。「人類的世界倫理の立場においてこそ、人間の自己疎外は真に克服されるのだ」という見解、すなわち、階級的立場と人類的立場との対立の統一ではなく、たんなる人類的立場の視点は、人間の自己疎外を快適としてうけとっている階級が、ある朝、一斉にこれを苦痛として自覚するに至る、という幻想に立っている。しかし真に現実的な克服の道は、この甘いセンティメンタリズムをすてて、疎外を苦痛とするものの立場を主体として、現実をそのあるがままにとらえることから、始められるほかはない。それがすなわち歴史的現実を、客観性と党派性とを統一する立場において、とらえることである。

ここでは一つの懺悔が問題なのであって、それ以上のことではない。人類がその罪業をゆるされるには、ただその罪業を実際にあるがままのものとして、公言すればたりるのだ。37



「その罪業を実際にあるがままのものとして公言する」こと――これが『資本論』における商品の分析ではなかったか。これが道元の「万法に証せらるる」ということの、経済学の分野における内実ではなかろうか。労働力としての商品から、それの資本制的規定の、捨象された商品に到達し(下向運動)、これの科学的究明を媒介として、自己に直接的な自己矛盾が、資本制社会の階級的矛盾の細胞形態であることを、明らかにすること(上向運動)、この円環行程の、しかも「開かれた体系」38 を、実践的直観において明らかにすることこそ、西田哲学の「物となって見、物となって考える」という方法の、社会科学的内実ではなかろうか。

こんにちわれわれ人間が、そして仏教者そのものが、商品経済社会(「売淫的世界」)によって生かされ、生きていること、この事態の全体が、「世間虚仮」であり、「そらごとたわごと」である。

カール・レヴィット(一八九七―一九七三)は、「マルクスの対蹠人たるキルケゴールさえ、資本と労働の関係への、マルクスの洞察を、人間としての生活そのものをもって実証」した実情を、興味ふかく記述している。39 他方われわれは、間主体的 inter-subjective 社会における事々無礙を、客観的に現実化しようとする場合に、逢着するであろう「縁起哲学の限界」について、クロポトキンの説得的な評論から、多くのことを学ぶであろう。40

世間の虚妄を――それの対象論理的・形而上的疎外をしばらくおく。ただし、対象そのものを変えるかわりに、対象の対象性を「空ずる」ことへの、きびしい批判をおこたってはならぬのだが――このようなアスペクトにおいて、われわれに自覚させ、このものの克服を決意させるものこそ、この分野における歴史の真実(ダルマ)であり、ここに仏教者における、社会倫理と社会科学との弁証の起点がある、とおもわれる。


Original References

1. 西田幾多郎の思想は、当初から体制擁護的な契機を含んでいた。拙稿「絶対無のつまづき――西田幾多郎の場合」、『思想』、一九五九年一月、本巻所収「西田幾多郎論」参照。

↑ 2. 大宅壮一「西田幾多郎と敗北」、『文藝春秋』、一九五四年六月。

↑ 3. 政府の「大東亜宣言」の草案として、一部の者の要請によって書かれたものだが、東条首相の拒否によって採択されなかった。その全文は矢吹一夫「昭和人物秘録」の「西田幾多郎博士の大東亜戦争観」にのせられている。

↑ 4. 西田幾多郎『哲学の根本問題・続編』、一〇六―一〇七頁。

↑ 5. 同書、一〇七頁。

↑ 6. 日本諸学振興委員会、哲学講演会での講演(一九三七年)の記録。西田幾多郎「学問的方法」と共に、『文部省教学叢書』第三集(一九三八年)に収録。

↑ 7. 大阪毎日新聞社編『日本仏教概論』、一九四二年。

↑ 8. 東京帝大仏青編『仏教思想講座』巻三、一九三九年。

↑ 9. 高楠順次郎、前掲論文。

↑ 10. 『宗門無尽灯論』、流通第一〇。

↑ 11. 『禅海一瀾』、岩波文庫版、三一、三四頁。

↑ 12. P. J. Proudhon, Proudhon’s Solution of the Social Problem, p. 45.

↑ 13. F. H. Heinemann, Existentialism and the Modern Predicament, p. 154.

↑ 14. 西田幾多郎『思索と体験』、一一八頁。

↑ 15. H. Read, The Philosophy of Anarchism, pp. 24–25.

↑ 16. 鎌田茂雄「華厳哲学の根本的立場」、中村元編『華厳思想』所収。

↑ 17. 拙著『般若経』、三一書房、六九頁、第六巻所収。

↑ 18. 船山信一「明治哲学における護教主義現実主義の三つの論理」、『思想』、一九六一年一月。二重真理説はキリスト教神学の恩寵と理性、仏教の真諦と俗諦の説にみられる。

↑ 19. 渋沢栄一「労働問題解決の根本義」、『社会政策時報』、一九二〇年九月。

↑ 20. 飯田欓隠『無門関鑽燧』、一九二四年十一月、一七九頁。

↑ 21. 亀川教信(龍谷大学教授)『縁起の構造』、一九四四年八月、五八一、五八五頁。

↑ 22. 同書、五九頁。

↑ 23. 「禅と企業」、『禅』七〇集、一九六一年三月。

↑ 24. 『禅苑蒙求』。

↑ 25. 支遁「阿弥陀仏像讃並序」。

↑ 26. P. Kropotkin, Anarchist Communism. Kropotkin’s Revolutionary Pamphlets, p. 57f.

↑ 27. 拙著『般若経』第四章、三一書房。

↑ 28. 『晋書』(陶侃伝)。

↑ 29. 『事物起源』、学校学事部、詞賦。

↑ 30. 宮本正尊編『大乗仏教の成立史的研究』、三七六頁。

↑ 31. M. Bakunin, Gott u. d. Staat. (Gesammelte Werke. Bd. I)

↑ 32. K. Marx, Die Deutsche Ideologie, S. 44 (Bücherei des Marxismus-Leninismus. Bd. 29)

↑ 33. 『京都新聞』、一九六一・一・一四および『維摩七則』、一六三頁。

↑ 34. K. Marx, Ökonomisch-philosophische Manuskripte, S. 103, 106 (Bücherei des Marxismus-Leninismus, Bd. 42)

↑ 35. 『禅』七〇集、一九六一年三月。

↑ 36. Marx, ibid. S. 128.

↑ 37. 「ルーゲへの手紙」、一八四三年(『マルクス・エンゲルス選集』補巻四、一三五頁)。

↑ 38. 梯明秀『資本論への私の歩み』、一二七頁以下。

↑ 39. K. Löwith, Von Hegel zu Nietzsche. 邦訳、七〇頁以下。

↑ 40. P. Kropotkin, Anarchist Communism, pp. 48, 56, 59, 64. P. Kropotkin, The Conquest of Bread, chap. I.

Source Note

「禅・華厳・アナキズム」(1961年)は、市川白弦の華厳思想と無政府主義の関係を論じた論考。本ページは『市川白弦著作集』第3巻(法蔵館、1993年)、319–343頁の本文をもとにした作業用の翻刻である。原著所収の注は344–345頁であり、下記に翻刻する。図1・図2は鈴木大拙の論述から市川が引用した図である。

本翻刻はなお原本との最終校合を要する。本文中の上付き数字は原著の参照番号を示す。

How to Cite this Text

Ichikawa Hakugen (1961). “Zen, Kegon, anakizumu 禅・華厳・アナキズム” [Zen, Kegon, and Anarchism]. Transcribed and edited by James Mark Shields. The Radical Buddhism Project. Version of 13 October 2026. http://radicalbuddhism.net/wiki/IH61ZKA.