市川白弦「禅とマルキシズム」
禅とマルキシズム(1956年)は、市川白弦の論考。本稿は『市川白弦著作集』第2巻(1993年)、293–312頁所収の本文に基づく作業用翻刻である。
English translation: Zen and Marxism
目次
本文
一 イデオロギー以前
フォイエルバッハは宗教の本質を人間の本質に解消する。しかしながら人間の本質は、なんら個々の個人に内在するところの抽象体ではない。(マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」)
唐末五代の禅僧清涼文益に門弟慧超がいった。「慧超があなたにただします。仏とは何でありますか」
師「お前は慧超だ」(『碧巌録』、第七則)。
禅の本質を人間に解消したフォイエルバッハ(一八〇四―一八七二)を思わせる対話である。ひとは宗教において廻り道して人間の本質にかえるのだ、とフォイエルバッハは考えているが、慧超はこの場合、仏を自分のそとに、いわゆる自己疎外のかたちでまとめたのではない。「慧超があなたにただします」という自信のある態度がここにある。「汝は是れ慧超」といわれて、宗教の本質を人間に解消するみちを自覚したのではない。さようなことははじめから問題になっていないのだ。師もまた「仏の本質は君の本質である」など
といったのではない。そのようなことなら本をよめばたくさんある。慧超と清涼とはたんなる意味の世界にいるのではない。それゆえ「言前の一句」という。「黒漆桶裏に墨汁を盛る」(『種電鈔』)という。対象論理の触手でつかまれるようなものではない。「清涼の答処、正面驀直」(『拈評三百則』)と道元は評している。天地一枚の汝は是れ慧超。意味が光り発するその場において、意味を底に超えた無我の全体作用をじかにとらえることを、この対話は要求している。
清涼のもとに監院(役名)の則という者があった。一度も参禅しないので、いったいどうしたのか、と師がたずねた。則「わたくしはまえに青林和尚のところでさとっているのです」。師「では、そのさとったところをいってみるがよい」。則「わたくしが仏とは何でありますかとたずねると、丙丁童子来って火を求む、と示されたのです」。師「お前はまちがっているようだ。もっといってみるがいい」。則「丙丁はヒノエ・ヒノトですから火にぞくします。火の子供が火を求める、つまりわたくしがほんらい仏であるのに、これをそとにむかって求めていたのだ、求める者じたいが仏である、ということをさとったのです」。師「やっぱりお前はまちがっていたのだ」。則は不満であった。こんな師匠ではつまらぬと考え、身仕度をしてそこを去った。弟子たちに師匠がいった「おしいことだ。もしあれが帰ってきたなら救われるが、帰らなかったら見込みはあるまい」。旅をしながら、則は反省していた。あの和尚は世にもまれな高僧だといわれている、しかもみだりにおれをだましたのではあるまい、けっきょく、おれの方がどうまちがったのだ、もういちど教えを乞うことにしよう。ついにもとの道をひきかえして清涼に参じた。師「じゃあ、お前さん、わしに問うがよい、答えてあげよう」。則「仏とは何でありますか」。師「丙丁童子来って火を求む!」。則、言下に大悟した。信仰は人間の自己疎外であるとか、人は神を愛することにおいて人間の本質を愛するのだとか、神学の秘密は人間学であるとかいったような、たんなる解釈学のやりとりがここにあるのではない。
上堂に云わく、赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝等諸人の面門より出入す。いまだ証拠(さとる)せざらん者は、看よ、看よ。時に僧あり、出でて問う。如何なるかこれ無位の真人。師、禅牀を下って把住(とらえる)して云く、道え、道え。その僧擬議(まごつく)す。師、托開(つきはなす)して云く、無位の真人、何の乾屎橛(不潔な物)ぞ、といって、すなわち方丈に帰る。(『臨済録』)
これは人間の本質を「個々の個人に内在する」ものとみているようであるが、じつはそうではない。「心外に法無し、内もまた不可得なり」(『臨済録』)。個人に内在する人間をそのまま肯定するヒューマニズムは、禅ではない。真人の面目を問われて、唐僧香厳智閑は「猢猻裏の眼睛」と答えた。近代思想の中心概念、ヒューマニティが成立する足場を空じたところでの創造である。「通玄峰上、是れ人間にあらず。心外無法、満目青山」(『天台徳韶』)。そして「無位の真人がもしも個人に内在する抽象体であるならば、あのはつらつとしたはたらき、師の黄檗をして「この気狂いめ、ここへやって来て虎のヒゲをなでおったわい!」と舌をまかせた自由がうまれるわけがない。「随処に主となり」「真正の見解を求取して天下に向って横行す」という禅的生活に、「宗教はただ人間が自己みずからを中心にして働くようになるまでの間だけ、人間の周囲をめぐる幻想的太陽にすぎない」「宗教は涙の谷の後光であり」「抑圧された生物の嘆息である」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」)と評価されるような手がかりはないといえよう。マルクスはこの稿の初めにかかげた言葉につづいて「その現実においては、人間の本質は社会的諸関係の総体である」と書いている。マルキシズムは抽象体としての人間の本質と現実としての人間の本質のほかに、もしくはそれらを底に超えて、禅の基礎経験である「人」をみていないのである。
定、上座あり、到り参ず。問う、如何なるか是れ仏法の大意。師、縄牀を下って擒住(とらえる)して一掌を与えてすなわち托開す。定、佇立す。傍らの僧いわく、定上座、なんぞ礼拝せざる。定、礼拝する
にあたって、忽然として大悟す。(『臨済録』)
このような悟りが、社会の物質的生活の諸条件、すなわちそれぞれの時代の経済的構造を現実の基礎として、それによって規定せられる上部構造としての「イデオロギー」でないことはあきらかである。唐のなかごろ、洞庭湖のほとりに薬山の惟儼禅師があった。ながいあいだ何も説法しないので、院主がうながしていった、「皆の者が久しく和尚の説示をのぞんでおります。どうか一度説法なさって下さい」。師「それならば出頭の鐘を打て」。鐘が鳴って一同出頭におよぶと、薬山は高座に上って、しばらくだまっていたが、そのまま座を下って方丈に帰ってしまった。院主はあっけにとられて、さっそく和尚を追いかけていった。「和尚はさきほど私の願いをいれて下さったではありませんか。どうして何もおっしゃらないのですか」。薬山は答えていった、「経には専門の経師があり、論には論師がある。わしが説法しなくても不思議はないじゃないか」(『従容録』、第七則)。「諸人いまだ法堂に到らざるに、すでに三十棒を喫し了れり」と道元はしめしている。
上堂、僧問う、如何なるか是れ仏法の大意。師払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又僧問う、如何なるか是れ仏法の大意。師亦払子を竪起す。僧便ち喝す。師亦喝す。僧擬議す。師便ち打つ。(『臨済録』)
この場合、すべてのイデオロギーは、白熱の熔鉱に落ちる淡雪にもひとしい。「光影を弄する底の人を識取せよ」(『臨済録』)。イデオロギーを形成する主体をつかめという。「古人いわく、説いて一物に似れば、即ち中らず」と。汝ただ自家に看よ。さらに何かあらん。説もまた尽くることなし」(『臨済録』)。イデオロギーをかぎりなく拒否する主体は、イデオロギーをかぎりなく形成する主体でもある。
二 イデオロギーとしての禅(上)
人間がその人間性、その本体をとりもどすことができるただ一つの方法は、「一切の宗教的表象の根本的克服と、神へでなく、人間自身への、決然として正当な復帰によることである。(エンゲルス『イギリスにおける労働者の状態』)
一切の宗教的表象の根本的克服と、神へでなく人間自身への決然として正当な復帰ということを、人間の自己疎外すなわち貧乏とドレイ化を克服しようとするプロレタリアートというかたち、プロレタリア・ヒューマニズムというかたちにおいてでなく――と言い切るのは一面的だと私は考えるのだが――「脚下照顧すなわち人間性を底に超える」というかたちにおいて実現するものが禅である。
師、衆に示して云く、仏の一字、われ聞くことを喜ばず。(『趙州録』)
汝もし仏を求めば、仏魔に摂せられん。(中略)却って境に乗ずる底の人を見るに、これ諸仏の玄旨なり。(『臨済録』)
フォイエルバッハは宗教的自己疎外、即ち一の宗教的なものと一の現世的なものとへの世界の二重化の事実から出発する。(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)
天国や彼岸の世界は、禅者にとって、泣く子をだまらかす木の葉ッパでありカゲロウであった。かえってカゲロウを追いかける「人」をつかむならば、現実の世界がそのまま生きるに値する実在の世界だというのである。
光影を弄する底の人を識取せよ。これ諸仏の本源。一切処これ道流(修道者)帰舎の処なり。(『臨済録』)
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒両隣りにちらつくする唯の人であ
る。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。(夏目漱石『草枕』)
汝諸方より来る者、皆これ有心にして仏を求め法を求め解脱を求め三界を出離せんことを求む。痴人、汝、三界を出でていずれの処に去らんと要す。(『臨済録』)
「宗教は顚倒した世界意識である」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)といわれるが、「到り得て帰り来れば別事無し、廬山は煙雨、浙江は潮」(蘇東坡)という世界のどこに「顚倒」がみられるであろう。レーニンはゴーリキーへの手紙のなかで、「搾取者に対する闘争における被搾取者の無力が、不可避的に彼岸におけるよりよき生活への信仰をみちびきだす」といっているが、おなじ階級的搾取の社会において、禅は意識的に彼岸への信仰を否定したのである。現実的世界の宗教的反映による世界の二重化、「現実的基礎が自分自身から浮き上って、一つの独立の王国として雲界に定着する」という事態が、この場合、おなじ中世紀身分社会においておこらなかったばかりでなく、積極的に拒否されたのである。
現実的世界の宗教的反映は、総じて実践的な日常生活の諸関係が、人々に対して、かれら相互間および対自然のすき透るような、理性的な・諸関連を日常的に表示するに至るや、はじめて消滅する。社会的生活過程すなわち物質的生産過程の姿態は、それが自由に社会を構成している人々の産物として、かれらの意識的な計画的統制のもとに立つに至るや、はじめてその神秘的な覆い衣をぬぎすてる。(『資本論』第一部、第一篇、第一章、第四節)
現実の世界の宗教的反映は、実践的な日常生活の諸関係が人々にたいして、かれら相互間および対自然のすきとおるような理性的な諸関係を誰の目にもあきらかにするまでになっていない世界において、いいかえれば、社会がすべての人間を自己疎外から解放し、すべての生産手段を所有し、計画的に行使するに至
っていない中世社会において、すべての禅者たちによって、広範囲にわたって阻止されたのである。すくなくともこのかぎりにおいて、民衆の阿片としての性格はここにはなかったといっていい。
三 イデオロギーとしての禅(下)
イデオロギーとしての禅が社会的に問題となるのは、それの形而上的な部面ではなくて、むしろ国民大衆の日常の現実の生活との交渉のなかで、禅の体現者としての禅者(もしくは禅宗の教団)がその世界観、人生観にもとづく言葉と行動において、人倫の問題、処世の心がまえについて、どのような態度をとるかという点にある。
分限を見わけてその性を知れ。(中略)柳は緑、花は紅。(鈴木正三『盲安杖』)
道徳の微妙は無声無臭に始まりて礼儀三百威儀三千に終る。礼儀三百威儀三千に窮りて無声無臭に帰る。(中略)これを明暗双々底という。(今北洪川『禅海一瀾』)
たとひ悪しき主人に仕へてのがるるところなくとも、更に主人の科にあらず。先世の我が業因と観ぜば、却ってはらにあらずや。或は一生病人となる盲目非人となりて朝夕苦しむ人多し。かやうのものは誰が咎なりと云ふや、ひとへにわが咎なり。かへすがへすもあやまることなく、万事を放下して忠孝の道に入るべし。(『盲安杖』)
仏道は人々脚跟下ぢゃ。自己を忘れて其物に成り切る外はない。君と臣の道あきらけき日の本の国は動かじ万代までも。明治天皇の御製ぢゃ。肝に銘じておくがよい。忠孝の外に禅はない。(飯田欓隠『槐安国語提唱録』)
封建的身分社会の人倫を支持し強化することが、禅的基礎づけをもつ自発的なものである以上、禅者がこ
の線にそって積極的な行動を鼓舞するのは当然である。
ボンヤリ禅は禁物だ、緊張し切って坐るのである。富士山が東海の天に突っ立ったような気持になって、更に云えば地球を座蒲団として天地の間に吾輩一人のみだ、という気持になって只坐ればよいのだ。坐禅は何のためにするのか。無上道を体現するにあり、大悟大徹するにあり、定力を練って随処に自在力を得るにある。無上道とは維摩の大道にあり、大悟大徹とは維摩の大道を悟るのであり、随処に自在力を得るとは、日本人は日本人に安住し活動することである。(原田祖岳『日本精神と大乗禅』)
国民教育の目標が大君のためシノウ、タメシテ滅私奉公するにあるとすれば、各臣民が各々の職域の学修、修行において、かくの如き無作の妙用を体得するに向って進むのでなければ、その実を充分にあげることはできない。(伊藤康安『沢庵和尚と教育』)
すべての木はその果実によって知られる、という言葉があるが、脱俗的なそしてイデオロギーをこえた禅の本質は、平常心のイデオロギーにおいて、このような果実をむすんだ。
宗教は一旦形成されると、つねに伝統的な素材を包含しており、そしていうまでもなく、伝統的なものはイデオロギーの領域において、ひとつの大きな保守的な力である。(エンゲルス『フォイエルバッハ論』)
禅的な無心の境地においてなされることは、外からみて同じことを繰り返しているようであっても、実質においてはつねに生新であるという見解、「一回挙すれば一回新なり」という見解は、それはそれで正しいのだが、しかもここに創造的な禅が惰性的、因襲的、保守的となる根本契機がある。因習も因習のなかへはいって行動してみると、それ相応の味わいがあるということがひとつの魅力となった。伝統が創造においてうけつがれることが忘れられ、生きたものを生きた形でうけつぐかわりに、死んだ形でうけつごうとしたのである。このような保守性がイデオロギーの領域において、無批判にかつ自発的に階級支配に奉仕するのは
自然のいきおいである。
支配階級の思想は、いずれの時代においても支配的な思想である。いいかえるならば、社会の支配的な物質的力であるところの階級が、同時にその社会の支配的な精神的力である。物質的生産のための諸手段を支配する階級は、それによって同時に精神的生産のための諸手段を支配し、かくしてそれによって同時におしなべて精神的生産のための諸手段を欠いた人々の思想は、この階級に隷従させられることになる。(マルクス・エンゲルス「ドイツ・イデオロギー」)
うがちすぎた見かたをするならば、「八紘一宇」の理念に「倫理的」頂点をもつ帝国主義の世界政策が、その宗教的反映を「緊張し切って地球を座蒲団として坐る」という気がまえのうちに見出した、といえるかもしれない。祭政一致の国家体制において、国防・戦争が宗教的衣裳をつける場合、森厳性をもつ国家権力に、私心をすて生命をかけて帰順する態度になりきれないことに、宗教的な罪の意識をもつという事実も、過去においてまれではなかった。天皇の「無的性格」について、一君万民制の「一即多」としての深玄性について、「聖戦」の道徳的精神について、心をくだいた人々もあった。
私たちは戦争に感情を擦り減らして泣かなくなった世代だと言われるそうである。それは或いは事実かもしれない。しかし天皇と、そのために死んだ多くの人たちのことを考える時、私は不甲斐ないことだが思わず声が顫えてくる。九死に一生を得て、今は平和なサラリーマンである歴戦のパイロットなどと一緒に飲んで、その晩寝つけなかったりすると、私は死んだ戦友たちの顔が目の前にちらついて、いっそう眠れなくなる。(村上兵衛「戦中派はこう考える」)
生きることは喜びであり希望である。また苦しみであり失望である。苦悩と失望に対処する方法はさまざまであるが、永続的根本的なものとして、人生最悪の事態にやすんじて対処する生きかたがもとめられる。
この場合、超越的な絶対者もしくは彼岸の世界を信じないものが、たどろうとするひとつの道がある。それは、特定の意欲、希望、当為をかたくまもって、このものの実現のためにあくまでもきそいたたかうという身がまえ心がまえを、その足場から空じさって、当面するその場その場の事態をそのままにうけいれ、これと一枚になる生きかたである。柳におけば緑となり花におけば紅となる無色の露のように、朝には朝をうつし夜には夜をうつす鏡のように、来るものをこばまず去るものを追わず、住めば都、悲しさにいて悲しさをあるじとし寂しさにいて寂しさをあるじとする、宇宙的な「然り」において生きる態度である。
其物に成り切り自己を忘ずる時、誰も皆天地一枚の者ぢゃと云ふことが分ってくる。この上望みやうがないではないか。望めばいつも不足である、煩悶である。俗歌の、上見れば及ばぬ事の多かりき、は望上心の非を悟ったのぢゃ。笠著てくらせ己が心に、は分上に豊かなることを知って安住ができたのぢゃ。(飯田欓隠、前掲書)
現実の社会は身分・階級による差別の世界である。このような差別の世界に憎愛の心をからませ個我の意識をはりつめるならば、不満と焦躁はつのるばかりであろう。そこで、差別を差別のままにうけいれて、こばむことなくおぼれることがなければ、あくぐ心はおのずから消え、つきつめた思いは蒸発して、いたみなやむなかにも風に別調のなかに吹かるということになる。
差別を無視して山も川も貴も賤も一つにすると、それこそ撥無因果ぢゃ、世の荘厳は去って殺風景ぢゃ。偏中正(差別の中の平等)が入用の処ぢゃ。兎角一法に偏堕したらみな落第ぢゃ。元来水の上の波ぢゃ。やから偏堕されぬ答ぢゃ。心をば水の如くに持ち成して、方と円とを物に任せん。(飯田欓隠、前掲書)
「住する処なくして其の心を生ず」(『金剛経』)、「一心生ぜざれば万法咎なし」(『信心銘』)、「上善は水のごとし、それただ争わず、故に咎なし」(『老子道徳経』)といった不争、順応の哲学がこのようにして生まれた。
彼岸の秩序をみとめなかった禅は、此岸の秩序をじかにみとめる道をひらいた。地上における身分上の地位が、天上における霊魂の地位を規定するのでなく、宗教的=形而上的視点からみられた自然界の秩序が、人間社会の秩序を聖化することになった。あるいはむしろ人間社会の秩序がその宗教的=形而上的反映を自然界の秩序に見出すことによって、逆にみずからを聖化し、このようにしてアジア的寛容=アジア的安心の道を骨格づける宇宙論が形成された。
一に曰く、和を以て貴しとなす。忤ふことなきを宗となす。(中略)三に曰く、詔を承けては必ず謹しめ。君は則ち天也、臣は則ち地也。天は覆い地は載す。四時順行し万気通ずることを得。地、天を覆わんと欲すれば、則ち壊るることを致すのみ。是を以て君の言うところ臣承け、上の行うところ下靡く。故に詔を承けては必ず謹しめ。謹しまざれば自ら敗れん。(『十七条憲法』)
出陣する青年たちが生死の問題を天皇に帰一する草莽す屍、水漬く屍のみちにおいて解決しようと苦闘した方向は、遠い過去からの傾斜をもっていた。
人生に処するいまひとつの方法に、達観の生活がある。人間生活の究極の意義もしくは最高の価値という視点に立って、歴史的現実の基本的な性格と動向とを全体にわたって諦観・批判するとともに、この諦観において人生を生きる態度である。哲人とか聖賢とかよばれる人々はこのような生活の実践者であり、ひとが人生を総合的・根本的に観察し、この洞察にしたがって生きようとするかぎり、多かれ少なかれ達観的な立場に立たざるを得ないであろう。時間に追われる熱病的な日常に、人生の展望をさわやかにきりひらくものは達人の智慧である。生きることの感銘をみがき苦痛を浄化するあの大肯定の智慧と、この達観の智慧とは、東洋が生んだ深い世界観の両面である。
しかしながら達観の道は、ほとんどつねに世界の現実にたいする高みの見物におわるものである。社会
悪、政治悪と、それをあらためてよりよい世界を実現しようとする実践とをふたつながら達観して、手をよごさないでおく生活をまもることになる。社会の矛盾、不合理をそのままよしとしてゆるすのではないが、しかしこれをあらためようとする目標と設計とが不徹底であるばかりでなく、あらためようとする行動そのものが依然として世俗的人間の執着に染められたものであり、したがってそれ自体がまず根本的に浄化されなくてはならぬと見るのである。自由にして平和な世界への階級をきずくために、大衆が智慧とエネルギーとを結集し行使することは、もとよりナンセンスではなく、世俗的な意味においてたしかに価値のあることであるが、しかしそれはかりそめにも道に志すものが参加するにあたいすることがらではない。おしなべてそれは人間的妄執のはからいであり、有漏雑染の業にほかならない。まもらねばならず、つらぬかねばならぬ一線は、理論と実践の徹底と純潔である。このような信念のうえにゆるぎなく坐するものが達人の達観である。主体的自覚における社会悪の否認と、客観的事実におけるそれの是認とを、かたくむすぶ生活態度によって、権力の搾取機構に奉仕し、その生活の品位と平安とをまもることができる。完全趣味――「うわべは崇高でも実は卑怯な、行動の放棄」(ルカーチ)――とよばれるものがここにある。
政治的権力にたいする積極的な協力の哲学と消極的な協力の哲学とをみてきたのであるが、この二つは必ずしも別のものではなく、社会的状況の変化に応じて自由にその心を生ずるのである。
宗教的情操はひとつの社会的産物である。(「フォイエルバッハに関するテーゼ」)
ながいあいだ禅者の意識・行動をうらづけてきた「易経」的世界観、自然の秩序と人間の秩序とを共通の原理においてとらえる汎道徳的コスモロジーは、いわゆるアジア的生産様式を土台とするアジア的停滞によって、多かれ少なかれ規定され性格づけられていたであろう。この部面の考察はべつにゆずって、禅者の個人的な社会関係について考えよう。
ひとりの禅者がその時代の国内的および国際的な権力機構のなかへ、どのような位置づけにおいてくみこまれているか、権力中枢とどのような距離と脈絡を保っているか、そしてこの事態との関連においてどのような交友圏をもっているかということが、かれの生活形態を規定し、その生活形態はその生活のセンス、モラル、政治性等々を制約している。そしてこの連関、照応、制約の構造がくまなく透明に自覚せられていないことが、イデオロギーの特色である。したがって禅者自身の意識においてはまったく自主的である判断・行動が、現実においてはこの社会的連関の仕組によって規定されているのがつねである。「話せばわかる」はずの見解のちがいが、多くの場合その解消がひどく困難であるのは、両者の入りこんでいる社会関係のラインないしシステムがくいちがっており、そのくいちがいが論理のくいちがいを制約していることがまれではないからである。考えかたをあらためるためには、時としては自分がとりむすんでいるこれまでの社会関係を解体して、べつの系列にくみ直さねばならず、同時にそのことは自分の生活を破壊しかねないのである。このことにたいする半ば無意識の不安と生活の惰性とが、ものの見かた考えかた、行動のしかたを規定しかつそれをかたくなにするのである。
四 人間の自己疎外とその恢復
人間の本質は、その現実においては、社会的諸関係の総体である。(「フォイエルバッハに関するテーゼ」)
われわれは封建社会の拘束からわれわれを個人として解放し放擲している競闘的私有制社会のなかに、この社会体制の存続強化のためにくみたてられた、かずかずの制約にまもられかつしばられて生きている。個人の「自由」と責任において、限られた幸福への手段をめざして、競闘しなければならぬ世界になげだされている。たとえていえば、五分間の停車時間のうちに、超満員の列車にのりこもうとして、力道山の仲間と
小児麻痺の男たちが、一つの入口、一つの窓口をめがけてひしめきあうといった状況のなかで、われわれは生きている。正規の入口がつまっているなら、窓口からもぐりこまねばならず、時と場合によっては屋根によじのぼり扉にへばりつかなくてはならぬ。風采をととのえエチケットをおもんじ謙譲の徳をまもっていたなら、発車の時刻がきて、どの列車にもとりのこされるほかはない、といった交通地獄のなかにいるようなものである。他人がのりこむことは自分がとりのこされることであり、自分がのりこむことは他人がとりのこされることである。この矛盾の合理的な解決はいかにして可能であるか、などと考えているうちに発車のベルが鳴ってしまう。そして自分の目的地にいる、関係の人々のプログラムもこわれてしまう。自分だけの不幸におわるのではない。同じ事情は、ここにひしめきあっているほとんどすべての人々に共通している。
あけてもくれても試験やテストの連続である。青春がしめ出されるだけではない。人間までもしめ出されかねない。なぜならばはげしい試験にパスするためには、友情などといっていられない。級友のつまずきはすなわちわが身の幸運となりかねないからだ。ぬけがけをしたい。試験前には知っていることも知らないといって、友人には教えない。級友が試験の日に電車に乗りおくれるか、病気になるかすればいい。ある学生は「友だちが死ねばいいと思った」と告白した。文字通り地獄ではないか。おそろしいことだ。こういうおそろしい心になった青年が東大に入り、入社試験の時にさらに一層おそろしい鬼になり、そして社会に出てからそれが習性になって、他人の不幸を祈るようになるとしたら、どうであろう。(本多顕彰『現代の青春』)
就職を指導する担任教師の悩みをきいたことがある。教室では憲法はあくまで守らねばならぬことを学習したが、入社試験の場合にはそれをハッキリ答えないがよい、自分がどの政党を支持するにしても、尋ねられたら保守党の名をあげたがよかろう、などと助言をしなければならぬという矛盾である。同じことは私自
身についてもいうことができる。式場において勅語を読みちがえた校長がクビになり、ご真影を焼失した宿直の教師が自殺するといった社会にたいして、私は一言の抗議もしなかったばかりでなく、不潔な戦争と知りながら「聖戦」に協力したのであり、不妄語戒をまもるどころか曲学のことばをあやつり、「行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐す」(『臨済録』)といった自由はゆめにもえられなかったのである。――ソ連邦ならびに東欧諸国にもおなじ虚妄があったことを、スターリン崇拝、歴史の編集などに関して情報がつたえている。アメリカの作家マーク・トウェーンは半ば皮肉に「神はわが国民にこの上もない三つの贈物をあたえ給うた。それは思想の自由、言論の自由、そしてこの自由を決して使わないという良識である」といったが、この良識をあたえた「神」は、国家権力の機構であろう。警察が認識の限界となるのだ。
盗みについて、作家大田洋子氏は戦時の食糧難のころを回想している。
要領のよくない私は、東京で毎日空腹をみたされなくて、食事のとき涙をだしたりしていました。人が闇で買ったものをまた少しずつわけてもらったりしていたけれど、あるときは雨を幸いに畑の小径にしゃがんで傘で顔をかくし、ほうれん草をいく束かぬすんだりしたのです。その時分すでに農家の畑のものをぬすむと体刑にされるということでしたが、ちょうど練馬の大根畑の傍に住んでいましたから、雨の夜陰に大きな大根をひきぬいてきたりしたのです。そのころからまともな人間でなくなり、留置場へ入れられたところで、外の暮しとたいして変りはないのだろうと思って平気でありました。
病にあるひとりの青年は生きることのつらさ、みにくさを浮きぼりにしていった。
家族 岩本敏夫
コノ子サエイナケレバ
父ト母サエイナケレバ
父ハ父デ 母ハ母デ 子ハ子デ
ソウオモイツメテ
イマハ
息ヅマル憎シミダケガ
オナジ一ツノ家ニ
クラシテイル
このような反目は、もしも完全な社会保障制度が確立し、生活に必要な物資が空気のように豊富であるとしたら、その成立する条件の大半を失うであろう。仏教にいう「縁欠不生」となるであろう。自然のリンショクとそしてとくに社会のリンショクが人間の自己中心、排他、不信、競闘をよびさましかきたてている。わが田へ水をひくという言葉があるが、ひとつの川をさしはさんで不信と敵意をもって対峙していたひでりの時期の農民たちが、一度雨が降れば対峙をといてたち去ることは、むかし田舎にみられる現象であった。性悪説の論者ホッブスは、人間が非社会的動物であることは自分を反省してみればわかる。われわれは夜眠るときには扉に錠をおろし、自分の家にいる時でさえ金庫にカギをかける。扉にカギをかけるのは市民仲間にたいして、金庫にカギをかけるのは自分の子供や召使いにたいして、自分がどのような意見をもっているかを証拠だてるものだといったが、かようなことがらがいつの時代にも存在するかどうかは疑問である。
大道の行われしや、天下を公となし、聖と能とを選び、信を講じ、睦を脩む。故に人独りその親を親とせず、独り其子を子とせず、老終る所あり、壮用うる所あり、幼長ずる所あり、矜寡(妻をなくした老人)孤独(父をなくした幼児)廃疾者、みな養う所あらしむ。(中略)この故に謀は閉じておこらず、盗
窃乱賊はすなわちおこらず、故に外戸(戸をあけたまま)にして閉じず。これを大同という。(『礼記』、礼運第九)
おそらくこれは原始共産体への回想であろう。フォイエルバッハのいう「人間の自己疎外」、自分の本質を自分の外に投げだすということがどうしておこるのか。そのわけがらのいくつかを明らかにするものを、競闘的私有制社会が構造的にもっていると考えられる。永遠の交通地獄におちこんだ通勤者、もしくは有刺鉄線をはりめぐらした中で、野菜どろぼうの夜番をする習性をかためてしまった農民のような状況に、現代資本制社会の人間はおかれている。私有制度のむかしからこの状況におかれてきた人間にむかって、人を信ぜよ、人をおしのけるな、我執をすてよと説きすすめることはもちろん必要であるが、ただそれだけで効果をあげられると考えるのは空想的である。
われわれはさきに、禅の基礎体験がイデオロギーを超えること、それがイデオロギーとして具体化する場合には、(イ)自分がおかれている現在の状況を肯定すること、および、(ロ)社会の権力機構への奉仕を説きすすめる傾向をしめしたことを知った。ところで、自分がおかれている現在の状況をすなおにうけいれることは、必ずしも非難すべきことがらではない。それは人生のもっとも深く美しい叡智につながっている。「愛情はふる星のごとく」の尾崎秀実の禅的諦観がひとの心をうつのはそのためである。「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」(良寛)。尾崎はこのような諦観において、人生の深さ美しさを創造し享受した。必要なものは解釈の哲学ではなくて変革の哲学だというのは、人間マルクスの言葉であるよりも、革命家マルクスの言葉であると考えたい。
しかしながら人間の生活は、改作の余地が一ミリもない最悪の事態の連続ではない。最悪の事態にやすんじて生きる道をきりひらくことは、日々の生活のゆとりと健康のためにも、重要な問題である。しかしあら
ゆる場合にこの態度だけで生きること、この態度だけをすべての人間のあらゆる状況について説きすすめることは、「偏向だ」といっていい。まして神話的搾取体制に進んで奉仕する禅論をうちだすにいたっては、すさまじい偏向である。思うにこれは、禅の根本主体である「無」を、形なくしてあらゆる形となり、色なくしてすべての色になる空気か水のような受動、包容の一面においてとらえ――譬喩をもって考えているうちに、いつのまにか譬喩が考えを支配するようになる――それの創造的造形力としての拒絶、批判、抵抗の方面を捨象した結果である。物質的な利潤の追求を社会構成の動力とし、あらゆるものを、人間そのものをさえも商品化し、物的・手段的な人的資源とする資本制社会と、根源的に主体的な禅精神とは、もともと相容れないものである。したがってこの体制の根本的変革のための科学的認識を、仏土建設のために禅者は学びとらねばならぬはずである。ところが過度の達観主義が、客体的な物の構造、法則を認識しようとする意志を蒸発させたのである。そのために物と心、自然と人間とをつねに「一如・不二」の視点からとらえる習性をかため、自然現象における差別と平等、自然科学的現象における差別と平等、形而上学的意味における差別と平等、社会体制の中での人間の階層的な差別と平等、境遇の差別と安心の一貫性としての平等、これらのものをたがいに混同して悪平等、悪差別の誤認におちいり、ついにはファシズムに奉仕し、戦争にも協力する無節操な暗禅となり、「毫釐も差あれば天地はるかに隔たる」(『信心銘』)ことになった。
個人崇拝はもとよりのこと、あらゆる偶像を拒否し、過去への愚痴と未来への取越苦労をぬぎすてて、現在の生活形成――直接にまたは間接に、真実の人類社会「一人は万人のために、万人は一人のために」生きる世界の実現に寄与する生活形成――に純一無雑となり、この生活創造において我執の空に徹することが、禅の実践である。禅の根本主体はこの意味における人間生活の底辺――いわば生活全体にしみとおる底辺――である。茶に遇うては茶を喫し飯に遇うては飯を喫するというような、日常的身辺的な生活の底辺であ
るばかりでなく、反戦、独立、解放のたたかいの底辺でもある。「争でか知らん、我が這裏の田を種え飯をまろめて喫せんには」(『従容録』、第二一則)といった、社会の下部構造に直結する生活における物質的生産の主体としてこの生活を純一にするとともに、上部構造のイデオロギー、社会体制を改作する思想として自己を形成する。
環境にはたらきかけて、これを改作する感性的・対象的な実践としての大衆的行動を、禅林では「作務」とよんでいる。行為における心情の純粋と結果の貧困ないし背反との不幸な統一を克服するものは、作務における工作態度である。それは詩的な態度ではなくて散文的な態度であり、対象に対する合理的実験的活動によって、主観主義の沈潜と陶酔をつきやぶる、醒めた造型的な精神である。このような精神が社会的歴史的環境としての社会・政治体制にはたらきかけて、開拓し構築しようとする世界は、その究極においては、禅の根本主体の無我、無所有、自律の基本性格にしたがって、自由共産制の国境なき世界社会である。
それ故に真理の彼岸が消滅したのちには、此岸の真理をうちたてることが歴史の任務である。人間の自己疎外の神聖な姿が面被をはがれてしまった後には、その神聖でない姿における自己疎外の面被をはぐことが、まず歴史に仕える哲学の任務である。天国の批判はこのようにして地上の批判に、宗教の批判は法律の批判に、神学の批判は政治の批判に変ってくる。(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」)
真理の彼岸が消滅したあとに、此岸の真理をうちたてるということは、私の見るところでは、彼岸についての宗教的信仰を克服して、すべての人間が搾取と抑圧から解放されるとともに、排他的な我執の自我からも解放された自由共産制社会を実現するための、直接間接の日常生活の坐作進退において、「坐の時は坐の時に参じ、行の時は行の時に参じ、語の時は語の時に参じ、一切作務の時は一切作務の時に参ず」(東嶺円慈『宗門無尽灯論』)というように、愚痴と取越苦労をはなれ、我執を空じてゆくことである。――スターリンで
さえも真に「自分の主人」(エンゲルス『空想から科学へ』)になることができなかったと察せられることは、旧社会体制の「母斑」にすぎないとしてすまされるほどに、無害・些細な問題ではない。――いうなれば、尾崎秀実の禅的安心がいまのべた意味における仏土創建の行動をつらぬく道をきわめることである。いわゆる「静中の工夫」(静寂な場所で坐禅すること)にまさる「動中の工夫」といわれるものは、このような生活の精進であろう。仏土建立の菩提心をおこし、「衆生を荷負して重担となす」(自分も衆生のひとり)ということであろう。「人間の自己疎外の神聖な姿」は禅の場合すでに拒否されているのだから、残された仕事は、神聖でない姿の自己疎外を認識し克服する実践を、エゴイズムを空ずる「己事究明」の場において行ずることである。
はなを風にまかせ、鳥をときにまかするも、布施の功業なるべし。(中略)船をおき橋をわたすも、布施の檀度なり。もしよく布施を学するときは、受身捨身ともにこれ布施なり。治田産業もとより布施にあらざるなし。(道元「菩提薩埵四摂法」)
永明潜禅師、衆に示して云く、仏法顕然たり。なんによりてか会し去らざる。仏法を会せんと要せば張三李四に問取せよ。世法を会せんと要せば古仏叢林に参取せよ。(『禅門公案大成』)
禅を学ぶには勤労大衆にたずね、社会の法を学ぶには禅林にたずねる、ということの現代的方法をうちたてるためには、どのような実践と理論の統一をきりひらいたらよいであろう。広く教えを乞うものである。
Source Note
底本:市川白弦「禅とマルキシズム」(1956年)、『市川白弦著作集』第2巻『禅と現代思想』(法蔵館、1993年)、293–312頁。初出誌・初出書の詳細は本版では未確認。本翻刻は作業用の学術テキストであり、歴史的引用および一部の文字の校合にはなお確認を要する箇所がある。頁表示は底本の印刷頁に従う。
Citation
市川白弦「禅とマルキシズム」(1956年)、『市川白弦著作集』第2巻『禅と現代思想』(法蔵館、1993年)、293–312頁。Radical Buddhism Project, IH56ZTM。
